信頼というフィルターの恐ろしさ

修正版アイキャッチ

こんばんは、千星華です。

DQ10SNS界でちょっとした騒動が起きてるんで、そのことで記事書こうかいつも通り反省記事書こうか迷いましたが、前者を選ぶことにしました。
反省記事は明日書きますね。
 
件の問題はざっと見た感じ男性の方は問答無用でクソだし、女性は女性で油断し過ぎだろうという感想です。
信頼(依存)していたらしいですが、警戒したならその警戒心を信じられてれば……と思います。
ただ、その信頼って怖い一面もあるよねという感じで本編行ってみましょう。

 

ゆるゆる過ぎたその頭

2人きりで会う、しかも男女でというのは、明らかにまずい案件です。
第3者がそれを聞いたら誰もが「やめとけ」と言うでしょう。自分も言う。
それでも会うなら、こういう人もいるでしょう。
 
「男女二人きりなんて何かあっても自業自得」
「脳内お花畑かよwwww」
 
ネット上でしか知らないのに2人きりで会おうとする。
そこまで出来るのは相手への信頼ですが、その信頼がフィルターになって一歩引いた判断ができなくなる。そんな問題もあるのではないでしょうか。 

 

ゆうたのの1話から見るフィルター

「オンゲで知り合った頼れる友人が自分の家付近の物件を探しているので、ルームシェアを提案した。

 その提案に乗ってくれたので、引っ越しついでに実際に会うことになったが、相手は女性だった」
ゆうべはお楽しみでしたねの1話ですが、実際読んでみると主人公たくみもかなりまずい事をしているのです。
 
何せ相手のプロフィールをあまり知らないのに、リアルで2人きりで会う以上のことを勧めているのですから。
 
もちろんそれまでの紆余曲折はあったでしょうし、「たくみが人付き合いにあまり慣れていない?」という意味もあったと思います。
ですが、どれだけ仲良くてもリアルを知らない相手に「ルームシェアしよう!」と言い出すのはあまりにも無謀です。
 
もし相手が女性だったら?
もし相手が家事全般を丸投げして文句だけ言うモラハラ野郎だったら?
(前者だったのがゆうたのなんですが)
 
それらの可能性をあまり考えず、たくみは「信頼できる人だから」と軽率に進めてしまっています。
 
この「信頼できる人だから」というフィルターが、軽率な行動に繋がりかねないのです。 

 

信頼は悪い事ではない

当然ですが、相手を信頼するなと言うのは酷なものです。

今までしてもらった事やした事を思い出せば、「この人は信用できる」「あの人は優しい人だ」と思うものです。
ただ、その信頼がフィルターをかけてしまいがちです。
 
「この人は優しいから2人でホテルに泊まっても手を出さないだろう」
「こいつは信頼できる。一発ヤッても許してくれるはずだ」
 
フィルターがかかる事で過剰な期待を相手に寄せてしまい、その期待が外れた時「裏切られた!」と騒ぐことになります。
過剰な期待をせずに付き合えればそれでいいのですが、フィルターは無意識のうちに貼られてしまうのが厄介なもの。
 
そしてそのフィルターによる過剰な期待は、自分自身にもかかっていると思います。

 

過信もまたフィルターの一つ

この手の類の騒動になると、「隙を見せた女の方が悪い」と言う輩が出てきますが、それに合わせてこう言うのも出てきます。

 
「よく見るなり調べるなりすれば避けられたはずだ。なんでそれをしない?」
 
個人的にはこういうのもまずいと思ってます。
と言うのも、これって「俺はちゃんと調べるから絶対引っかからない」という過信だと思うからです。
第3者視点なら「自分はこうする・ああする」と気楽に言えますが、実際に巻き込まれると「自分は引っかからないと思ってた」となりがちなのです。
(相手も隙を狙おうと必死ですからね……)
 
「自分はこんな事は絶対にしない・絶対にこんなミスはしない」と楽観視せず、「自分にも降りかかるかも知れない。気を付けよう」と考える。
過信はしないように気を付けたいものです。

 

終わりに

第3者の自分としては、感想は最初に書いた「どっちもどっち」なのですが、「何故こうなってしまうのか」を考えてみたいなと思い、こんな記事を書いてみました。

今回の事件と言い、ゆうたの1話の事と言い、男女がサシで会うのは相当な危険を含みますが、それでも会おうとなるのは、相手への信頼が大きい表れなのだと思います。
ですが、その信頼を過剰に期待しすぎれば相応な問題へとつながってしまいます。
 
ネット上の交際からの結婚が珍しくなくなった昨今、改めて「相手が見えない」という事を思い出して相手を信頼したいですね。
 
それではノシ